お湯の水割り

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【Memento】を観たぞ

あらすじ

 

ある日、自宅に押し入った何者かに妻を強姦され殺害された主人公・レナードは現場にいた犯人の1人を射殺するが、犯人の仲間に突き飛ばされ、その外傷で記憶が10分間しか保たない前向性健忘になってしまう。

復讐のために犯人探しを始めたレナードは、覚えておくべきことをメモすることによって自身のハンデを克服し、目的を果たそうとする。出会った人物や訪れた場所はポラロイドカメラで撮影し、写真にはメモを書き添え、重要なことは自身に刺青として彫り込む。しかし、それでもなお目まぐるしく変化する周囲の環境には対応し切れず、困惑して疑心暗鬼にかられていく。

果たして本当に信用できる人物は誰なのか。真実は一体何なのか。

 

Wikipediaより)

 

 

 

感想

 

いろんな人にオススメされたので見てみた。

健忘を持った主人公・レナードが己の「記録」を頼りに己の目的のために行動する物語。

この作品の特徴としてはストーリーを「終わりから始まりに向かって描いていく」というところが

めちゃくちゃキャッチーだなと思った。

 

観終わった今その点に翻ると、

そうでなければ「さっき見た我々」と「もう忘れてしまったレナード」で

既に食い違ってしまうので、初めて見た時になんだかめちゃくちゃだなっていう感じに

印象を持ってしまいそうな気がするので、

こういう逆順で進めたからこそレナードと同じ気持ちで謎にぶつかり明らかになっていく

話の構成が面白いと思った。

 

どんな物語を見ても、例えば少し前のページに戻って

「ああ! あのシーンはこの展開のためだったのか!」

「今こいつがこうしているのは、あのときこうだったからなのか!」

と感じる再読性、要素がつながる快感がストーリの深みを作っていると思う。

メメントは逆順でストーリーが展開されるからこそ、

今起きたことに直後にその原因が明らかになっていく組み立てが

常にその快感を与えていて、どんどんと入り込んでしまう作りになっている。

 

一方で、映画の時間通りに物語を見る我々には、

「なぜこうなってしまったんだ?」という疑問が常に提示されていて、

それに対して「もしかしてこうだったのか?」という予想もちりばめられていて、

話が進むにつれて何が正しいのか、目的がわからなくなって

知りたくなる=思い出したくなるように誘引されているようにも感じられた。

 

物語の冒頭、「すでにあるもの」の中に囲まれて「これはなんだ?」と思うレナード、と我々。

その時点で、あるいはすでに書いているように、

「レナードの感じる『疑問』を、視聴者が共有して、この物語が進んでいくのだ」

と思って視聴が始まるからこそ、この物語の深さと再読性が高まっていくのだと思う。

物語が進みレナードと周囲の関係がわかってくる(わかってない)に連れて、

レナードの症状の異常さと、その精神性の異常さに気づいてくる作りになっているのもさすがだと思う。

思い出せないのではなく覚えられないのは、

忘れるのではなくなくなってしまうことであって、

体験したこともなくなり、感じたこともなくなるという意味で、

怒りも悲しみもなくなってしまうのは悲しいことだし、

その状態である目的に向かって生き続けるのはまさに狂気に他ならないと思う。

でもそれがわかったのは一番最後だというのだから見返したくなってしまうよな。

 

 

レナードにとって重要なことは「記録すること」。

10分間で忘れてしまうので、とにかくメモを残すことにしていて、

疑いのないような形=騙されないような形で残すことにしている。

筆跡を間違えないし、重要な情報は入れ墨にする。

これは割と普通に暮らす我々もすることだけど、

本当に記憶がなくなってしまうとしたら、とてつもないことをしなければならないなというのはよくわかる。

結果だけがあって過程がわからない状態は、

その事実を支えるものが何もないという意味で、理屈や納得が無くなってしまう。

特に「理屈がいくらでも書き換えられる」というのが恐ろしいことだと思う。

今着ている服がいつ買ったのかもわからないし、そもそも買ったのかどうかもわからない。

レナードは写真にメモを付けて記録するようにしているけど、

終盤までのところを見て、その記録をしたときの心理状態がわからないから、

過去のレナードの感情を知らない未来のレナードが、無感情にその事実を信用してしまうのは、

物語として納得できるのと、納得できるが筋が通らない異常性が成立していて、

その「理解できるズレ」が観ていてとても気持ち良い感じだった。

 

 

映画を見終わって感想を書いていて今思っているのが、

レナードの最期の記憶が妻の映像なのはいいとして、

じゃあなんでその目的に向かって進むべきだと信じ続けられるのか?がだんだん不思議に感じられてきた。

さっきも書いたけど、「信用できない記憶の中、一つの目的に向かって進み続ける」というのは

精神状態として明らかに異常だと思う。

普通は嫌なことを言われて感じるストレスも、10分経てばなくなってしまうとして、

じゃあそれを経験した精神への負荷はどこに行ったんだ?という感じ。

罵詈雑言を浴びせられて怒り、殴った相手が10分後に助けてと縋ってきて、それを助けてしまうとき、

その時の精神はもう成立してないのでは?と思う。

 

レナードは終始、記録が信じられるとしていたけれど、

その記録を付けるのも人なわけで、形に残るだけで正しいわけではないと思うんだよな。

レナードはそれが不安だったり怖かったりしたから、

記録こそが正義であると刷り込んで、そのために行動できてしまったんだと思う。

どう「刷り込んだ」の?

 

すべてが終わった今、物語を時系列通りにつなげると、

レナードという人間は刹那、人間らしい葛藤をする中で、

その葛藤すら置き去りにして、次の行動が進んでいく展開が、

とにかく異常な物語だったなと感じる。

どこかのセリフにあったけど、「未来が決まっていて過去がわからない」という状態で生まれる

特殊な叙述の世界がそこにあったなあと感じた。

 

 

まとめ

総評 : めっちゃおもろい

 

物語の構成は、時系列を明らかにしていくサスペンス方式で、

次々に生み出される謎と、その回答が細かく繰り返されることで

一つ一つのシーンの意味が出来上がっていくカタルシスを味わえる良い作品だった。

また、レナ―ドが信じる記録と、視聴者にだけ残される記憶(感情)の間で構成される、

「納得感のある異常性」がこの物語の一番好きなところだ。

おすすめされただけあって面白かった。

感想書くために検索して知ったけど、「インターステラー」と同じ監督さんなんですね。

インターステラー」もめちゃくちゃ面白かったので是非。