お湯の水割り

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【マイ・インターン】を観たぞ

あらすじ

 

ニューヨークでファッション通販サイトを運営している女社長のジュールズは、短期間で会社を拡大させることに成功し公私ともに順調な毎日を送っていた。そんな彼女の会社にシニア・インターン制度で採用された70歳の老人ベンがやってくる。若者ばかりの社内で当然浮いた存在になってしまうベンだったが、いつしか彼はその誠実で穏やかな人柄によって社内の人気者になっていくのだった。

一方その頃、ジュールズには公私ともに大きな問題が立ちはだかっていた。双方において大きな決断を迫られた彼女は、誰にも自身の気持ちを打ち明けることができず苦しい日々を送っていたが、そんな彼女を救ったのは他でもないベンだった。ベンの温かな励ましを受けていくうちに、いつしかジュールズも彼に心を開くようになっていく。ベンの言葉から勇気をもらったジュールズは、目の前に立ちはだかる数々の難問に立ち向かっていく決意をする。

Wikipediaから抜粋)

 

感想

 

主人公は70歳くらいのおじいちゃん、ベン。

彼はいわゆるリタイア世代なわけだが、彼自身はそんなことは感じていない。

「音楽家にとって、自分の中の音楽が終わったときが最後の時だ。まだ私の音楽は終わっていない」(うろおぼえ)

と言って、シニア・インターンに応募する。

 

インターン先は今をときめくファッション業界。

ジュールズが立ち上げ大成功を収めたまさに「今アツい仕事」だった。

そんなジュールズの専属補佐としてベンは配属されるが、

ジュールズとしては、社会貢献の一つとして始めたシニア・インターンである手前誰もつけないわけにはいかないし、

でも実際の仕事は自分たちでこなしていて頼めることが無いし、

どこか取り扱いに困っているような、そんな様子だった。

ベンはだからと言って腐ることもなく、新しい環境と新しい仕事、仲間に対して

自分なりの気遣いと価値観で関わり合い、周りの人たちに作用していく。

そういったかかわりの中にもジュールズは含まれていて、やがて彼女自身の迷いに対しても、

ベンの言葉と行動が作用していく。

 

 

この物語を最初に見始めた時、

これは人生経験を積んだベン自身の持っている知識と経験をもとに、

若く力のあるジュールズたちがそれに感心し、ベンが周りを変えていくような物語だと思っていた。

でも実際にこの物語を観終わって感じたのは、

もちろんベンの言葉や行動が周囲に作用しているのだけれど、

あくまでそれはベンが積極的にはたらきかけた行動としての産物ではなく、

まず彼ら自身の物語がそこにあって、それに対してベンの行動と言葉が

はたらきかけているだけであるということ。

この物語はベンが主人公のようでいて、バイプレイヤーでもあり、

そうやって関わり合い、はたらきかけ合うことで、

いろんな人間のいろんな語が動いているのだということを感じた。

 

 

例えばベンは、

著名人に会う機会を得た同僚に「身だしなみを整えたほうがいい」と言い、

恋人を怒らせた同僚には「きちんと謝ったのか?」と問い、

事務所に山積されているデスクは人知れず整頓したりする。

何かを教えようとして行動するのではなく、

誰か、あるいはその環境に対して押しつけがましくないところまで行い、

そこから先をきちんと本人に返すことができる。

そういう経験を積んだ大人としての「品性」が節節に見受けられて、

こういう大人でありたいと思ったし、こういう関わり方をしたいと思った。

 

 

品性というのは、「どこまで行い、どこまで行わないか」を見極める能力だと思っている。

行き過ぎてしまえば経験に物言わせた「指示」になってしまうし、

踏み込めなさ過ぎては役に立つことはできない。

「私の中の音楽は終わっていない」というベンは、

きっと自分の中にあるものが誰かや世の中にきっと作用できると感じているのだと思う。

そうして社会とつながっていたい、世の中の大きな流れの一部でありたいというふうに思っていたんじゃないだろうか。

 

ベンがジュールズに伝える印象的なシーンとしては、こういうシーンがある。

物語を通じて、大きくなってきた会社をハンドリングするためにCEOを雇ってはどうかと

提案されているジュールズは、自身の過程で過ごす時間が失われていくことも憂いて、

ついにはCEOを雇うことを決心する。

ただし、それは旦那の浮気のこともあって、どうしようもなく追い詰められた彼女の決断だったように見えた。

話を聞いたベンはジュールズに対して助言をする。

そう判断するのがいいと思う、あなたらしいと思う、というふうな言葉を投げかけるが、

最後に「…って、言えばいいかな?」と問いかける。

これは個人の解釈だけれど、

あくまでベンは彼女の決断を尊重していて、だけどそれに対する言葉を求められたときに

ベンの言葉が理由にならないように、そういう言い方をしたんじゃないだろうか。

後悔しない決断というものは存在しないけれど、決めるのは自分自身。

その決断が正しいかどうかはあとにならないとわからない。

ただし、その覚悟を決めるのは誰かに言われたからではいけないのだと思う。

だからベンは「甘い言葉」をなげかけたうえで、

「あなたはそれでちゃんと納得できるの?」と伝えたかったんじゃないのかな。

 

そういう意味で、物語の中心には「ジュールズの物語」があって、

「ベンの物語」はそれに作用していただけなんだと思う。

ベンはそれを理解して行動に起こせる、まさに「紳士」であり、

男女や世代を超えた友情がそこにはあった。

 

 

ベン自身はもう高齢だし、いわゆる化石のような男だ。

PCの電源の付け方も良くわかっていないくらいで、世の中のメインストリームを担う存在ではないかもしれない。

だけどそれは世の中から切り離されているという意味ではなく、

彼自身が「まだ社会と繋がれる」と感じている以上、いつから始めたっていいのだと感じることができた。

それは彼がメインストリームを担うということではなく、

世の中の「これからの物語を作るものたち」と手を取り合い、

知識と経験をもとに助け合えるのだということを言っているのだと思う。

もちろん、それがベン自身の物語でもある。

「誰もがいつでも自分の人生の主人公、いつだって物語は始められる」とはまさにこのことだなと思った。

 

 

きれいに身だしなみを整えること、

机を整頓しておくこと、

毎朝ひげをそること、

困っている友人に手を貸すこと、

そこにある出会いを楽しむこと、

そういう知性と品性は経験で培われるものであり、でも経験がなくたってできることでもあるだろう。

男女年齢を超えた共同で働く社会は今や当たり前でもあるから、

自分詩人も、誰にだっていつだって、ハンカチを貸すことができるようになりたい。