『破壊神マグちゃん』が面白い
『破壊神マグちゃん』は週刊少年ジャンプで2020年29号から連載されているギャグコメディ漫画だ。
どこかにある海辺の田舎町を舞台に、邪神であるマグ=メヌエク(マグちゃん)が現れ、その封印された体の復活を目指して信徒を増やすために過ごす物語。
ジャンプ本誌においては「オアシス的存在」としても認識されている。
特に呪術廻戦が盛り上がって日々しんどかったころには読者が精神の回復を求めてこの作品を読んでいたとも言われているくらい、ゆったりこころが癒されるそんな作品である。
邪神たちは海産物とクトゥルフがモチーフになっていて、それぞれに特殊な能力=権能を持っている。
デフォルメ化されたキャラクターは動きがとてもかわいらしい。
それに対するシュールさも相まって、キャラデザと個性がすんなり入ってくる感じがあるのがとてもいいと思う。
異形のものなので多少の物理的ダメージも平気だし、
一方で人間社会に普通になじみつつあるところもあるし、
その個性立ちがそれぞれにはっきりしていてとてもよい。
ファンタジー世界のコメディよろしく権能は物語を動かすためには不可欠だし、
その個性の相性がちゃんとあったりするところが展開としてもわかりやすくておもしろい。
取り巻くコミュニティとしても、
復活した邪神、それに類する邪神、邪神の復活を願う組織、それを封じる組織など、
異形生物VSのバトル漫画のフォーマットを持ちながら、あくまでコメディ漫画のシナリオにのっとっている。
なのでシリアス風な雰囲気を出すこともできるし、
それをぶっ壊すコメディ世界観もばっちり構築されているので、
読んでいてどちらに触れてもいけるんじゃないかとさえ思えるくらいには、それぞれの関係性が丁寧に用意されているなあと感じる。
やはり癒されるというのが一番しっくりくる。
単純な作品としては一話完結のシナリオが多いけれど、
その中できちんと前振りとその回収が設定されていて、テンポよくキャラクターが動いているのも気持ちよいところだと思う。
全体的にここまで読んできた中ではそれぞれの話が読みやすいというのが良いところだと思っている。
新しい絡みも用意するし、前振りと回収はしっかり抑えるし、天丼はきちんとやるし、
するするとキャラクターのセリフや展開が馴染むので、コメディ漫画としてはとても良いものだなあと思っている。
いわゆる書き文字芸も細かいので、書き文字好きな僕からしてもとても楽しいものだ。
一時シリアスをするふりをしてやっぱりコメディに戻ってまた新しく動かせる感じも出て来たし、
まだしばらくは楽しく読むことができそうな気がする。
コメディなのでどう着地するかは様々だけど、
逆に意外とすんなり締めてしまうパターンもないわけじゃないので、
今きちんと楽しませてもらおうと思っている。
呪術も戻って来たしな。
【竜とそばかすの姫】を観たぞ
当然だが感想なのでネタバレを含む場合があるぞ。
あらすじ(公式サイトより)
自然豊かな高知の田舎に住む17歳の女子高校生・内藤鈴(すず)は、幼い頃に母を事故で亡くし、父と二人暮らし。
母と一緒に歌うことが何よりも大好きだったすずは、その死をきっかけに歌うことができなくなっていた。
曲を作ることだけが生きる糧となっていたある日、親友に誘われ、全世界で50億人以上が集うインターネット上の仮想世界<U(ユー)>に参加することに。
<U>では、「As(アズ)」と呼ばれる自分の分身を作り、まったく別の人生を生きることができる。
歌えないはずのすずだったが、「ベル」と名付けたAsとしては自然と歌うことができた。
ベルの歌は瞬く間に話題となり、歌姫として世界中の人気者になっていく。
数億のAsが集うベルの大規模コンサートの日。
突如、轟音とともにベルの前に現れたのは、「竜」と呼ばれる謎の存在だった。
乱暴で傲慢な竜によりコンサートは無茶苦茶に。
そんな竜が抱える大きな傷の秘密を知りたいと近づくベル。
一方、竜もまた、ベルの優しい歌声に少しずつ心を開いていく。
やがて世界中で巻き起こる、竜の正体探しアンベイル。
<U>の秩序を乱すものとして、正義を名乗るAsたちは竜を執拗に追いかけ始める。
<U>と現実世界の双方で誹謗中傷があふれ、竜を二つの世界から排除しようという動きが加速する中、ベルは竜を探し出しその心を救いたいと願うが――。
現実世界の片隅に生きるすずの声は、たった一人の「誰か」に届くのか。
二つの世界がひとつになる時、奇跡が生まれる。
感想
めっちゃ普通。
あらすじを公式サイトからコピペしてきたときにあらすじを読んだわけだが、とにかくあらすじの通りの物語でしかないので、あらすじはほとんど本編だと思っていいと思う。
田舎に住む少女が仮想空間で本領発揮して、そこで出くわした正体不明、目的不明の大きな存在を見て、実はあいつは悪いやつ扱いされてたけど、ほんとはこうで、だから助けなくちゃ!
という感じの作品。
個人的には「期待通り、予想通り」という感じだったので、とにかく普通だったなという感想しか出てこなかった。
期待通りで予想通りであったから普通だなと思っただけで、物語自体はいい物語だと思う。
ボーイミーツガールな感もあるし、<U>の中では自分の潜在能力が発揮されるようなので、片田舎に住むかすかな独りですら世界を大きく変える力になるんだよ、っていうのもワクワク感があると思う。
仮想現実の世界とは言うけどほんとに広くてみんないる、っていうだけで、仮想空間だからどう、という感じはあんまりなかったけど。
「絵が綺麗、歌がいい」のは間違いないと思うけど、それは別にこの作品じゃないとできないことだと思うし。
正体不明の大きな存在が、少しずつ触れ合っていく中で人らしさを垣間見て、その正体が実は誰かを守るための存在で、という展開もシンプルでいいと思う。
それに歩み寄ろうとして分かった風な言い方をしてしまって突き放されるところとか、
仮想現実あるあるだけど素の自分を晒して訴えかけるところとか、
断片的な景色や音の情報から居場所を特定したりとか、
それですぐに動き出しちゃうところとか、
そういうところで親からの言葉が染みるとか、
そうやって助け出したのと止めに来る悪いやつを意志で追い返すところとか、
もう何もかもが良い。
ただ全部知ってる。
普通にある話。
あらさがしする必要はないけど、観た後で気になったこととしては、
・<U>では潜在能力が発揮されるとはいうけど、周りの人や友人たちはそうじゃないの?
・歌えなくなっちゃったくだりから歌えるようになった間がなんかスッとしない
・なんですずがあんなに竜に執着するのかがいまいちピンとこない
・しのぶくん関連のクラスのいざこざのシーンはそのあとの炎上との対比なんだろうけど、突拍子のない感じがあって浮いてる感じがする
・ていうかしのぶくんは何なの?
・途中からベルの3Dモデルがなんか不気味の谷感あって気持ち悪くなっちゃった
あたりが残っていて、なんか今でもそこらへんすっきりしない感じがある。
そういう意味で言うと、いまいちすずやまわりの子たちの動機が分かるときとわからないときがあって入り込めず、結果的に「すずの物語を外から観たな」という感覚になってしまった。
うまくのめりこむことはできなかったなあ。
2回目を観たいと言っていっしょに行ってくれた人には悪いことした。
すまん。
僕はあんまりおもしろいと思わなかったです。
まあそんなわけで、個人的には別段すごい感じの映画ではないと思った。
面白くも面白くなくもない、普通。
監督は有名だけど、別に名作メーカーって感じではないのかもしれないな。
世界観がサマーウォーズを彷彿とさせるし、実際最近サマーウォーズ観た後だったから、余計になんか新しいことしてくれるのかなって期待があったのかもしれないな。
観ている途中からだんだんどういう展開になりそうなのか予想できちゃってその範囲を超えなかったのが物足りないというか普通だなって感じた要因なんだろうな。
それか僕のセンスにあわなかったのか。
「君の名は。」に対しても似たような気持ちになったしな。
まとめ
サマーウォーズのほうが面白いと思う。
僕はおおかみこどもが好きだけど。
人に説明するときは「地上波でやってたら見るかもなくらいの作品だった」と伝えます。
『2.5次元の誘惑』が面白い
2.5次元の誘惑(リリサ)が面白い。
これ、今ジャンププラス連載作品の中で最も正統派なジャンプ漫画をしていると思っている。
古き良き「スポ根漫画」のエッセンスを外しておらず、可愛さとアツさを正当に両立している作品だと思っている。
巷では「熱血青春コスプレ漫画」とも評されているが全くその通り。
本編の勢いもいいし、プラス内でも比較的推されている方だと思うので、近いうちにアニメ化されてもおかしくないんじゃないのかなって思っている。
2.5次元の誘惑とは
2019年6月からジャンププラスで連載が始まった「コスプレ」をテーマに扱うラブコメ漫画。
漫研部の唯一の部員になった奥村君のもとに、新入生の天野リリサが入部、彼女はコスプレ撮影が趣味で、二人で撮影を始めることになる、というお話。
連載開始時点の話を読んでみると、いかにもなジャンプのお色気ラブコメのフォーマットを持ってて、実際にそうだった。
絵もきれいだし小ボケもくどくないしとても好きな漫画になっている。
7月頭に10巻が出たところ。おまけ漫画も豊富でとても読みやすいのでお勧めです。
2.5次元の誘惑の何が面白いのか
開始当初の1話完結ラブコメエロコメ路線も悪くはなかったんだけど、いわゆるコスプレイベント初参加編を通じて作品の印象が大きく変わる。
詳細は省くが、コスプレイベントに参加するストーリーを通じ、リリサの中に「コスプレをすることと向き合う」という価値観が大きくなっていく。
そのストーリー以降はいわゆる安直なエロコメ路線ではなく、コスプレを人に見せることの意味、とかコスプレを何のためにするか、とかに向き合うリリサや奥村くんの精神的な変化が物語の中心になる。
キャラクターが好き!アニメが好き!の気持ちから始まったコスプレのことを真剣に考えて向き合う仲間たちの姿勢を見ていると、まるでなにかそういう競技を見ているような気持ちでアツくなれる、そういう漫画へと変貌した感じがある。
やはり我々もオタクだからなのか?
この作品を読んでいてすごく「馴染む」というか、共感したり応援したくなるのは、やはり我々がオタクだからな気がしている。
今の時代、コスプレをビジネスとして取り組む人もいるし、有名になりたい人、一緒にやりたい人、いろんな理由で取り組む人がいる。
それらに面したリリサは何をしたくてコスプレをするのか悩むシーンがある。
その時点でコスプレを「表現の方法」として落とし込んでいて、同じフォーマットは例えば芸術やスポーツでもまんま当てはまる話だと思う。
そしてコスプレという「表現の世界」で生きているからこそ、他人の好きなものを肯定すること、否定しないことがとても大きな意味になるし、何にもとらわれない自己表現として気持ちを表現することができる。
そういう、一般的には趣味でしかない、無くたっていい、ただ好きなものに対して、真正面から「それを好きでいいんだよ」とか「それが一番だろう」と肯定してくれるのが、オタクに刺さるんじゃないだろうか。
近年はサブカルチャーがぜんぜんサブじゃないくらいに世の中のストリームの一つであると思う。
それはそれだけ流行りやウケがたくさんあって移り変わるということであって、一方ではついていけなくなったな、とか流行りだから追わなくちゃ、とか、好きなものだけを追っていられない状況が増えたことも意味している気がする。
だからこそ「自分が好きなものを全力で好きだと言う」その姿勢が居心地よくて、読んでて馴染むんだろうなあと思っている。
その「好き」を表現する方法も人それぞれで、それをどう評価するかも人それぞれ。
それらひとりひとりの「好き」とか「こうしたい」にド正面から向き合っているから、これだけ熱血なコスプレ漫画になったのだろう。
まとめ(?)
とにかく面白いので読んでほしい。
ただコスプレしてカワイイ~だけじゃなくて、コスプレをする人の価値観、それを見る人への見解、そういうのも踏まえていて、嫌みなく読める漫画なので。
分かりやすい嫌なキャラも居ないのでストレスなく読めるし、小ネタも充実していて楽しいです。
僕は一番推しています。
『火ノ丸相撲』が面白い
火ノ丸相撲は面白い。
もともと連載中から読んでいたし、当時も面白いと思っていたし今更何をって感じだが、火ノ丸相撲はおもしろい。
個人的にはこの漫画はジャンプスポーツ漫画の中でも五指に入る面白さではないかと思っている。
どれが五指なのかって決めているわけではないが、おすすめのスポーツ漫画と聞いてスッと出てくることに違いはない。
最近会話に出てきて懐かしくなったので、急遽漫喫に行って全部読み返したんだけど、やっぱりおもしろい。
読み返してみれば連載の時のワクワク感もよみがえってきたので、やはり連載の時からちゃんと追ってその盛り上がりを体感しておくっていうのはとても貴重な経験だったのだなと思う。
火ノ丸相撲とは
2014年26号から2019年34号までの間、週刊少年ジャンプで連載されていた川田先生による相撲漫画。
全部で28巻まであり、大きく分けると18巻までが「高校相撲編」それ以降が「大相撲編」に当てはまる。
一般的に高校部活もののスポーツ漫画ではプロ編が後日譚的に書かれることが多い印象がある中で、割としっかりと大相撲編として連載されていた。
そこらへんも印象的な作品だった。
連載終了後にジャンププラスで後日譚的な番外編が掲載されて、最終巻にはそれも収録されている。
火ノ丸相撲の面白いところ
と言われても何が出てくるわけでもないけど、とにかく面白かった。
これじゃあうまく説明できてないけども……。
最初に読んだ印象はいわゆる「体格に恵まれなかった主人公が挑戦していくタイプ」のスポーツ漫画なんだなということ。
実際主人公の潮火ノ丸くんは相撲界においても特に小柄で、普通にはプロ入りする資格すらない(身長制限)ような状態からのスタートだったし、
そういったハンデを抱えながら立ち向かって言うというストーリーはとても良かった。
成長の中でぶつかるライバルや仲間との描写に関しても押しつけがましい説明が少なく、展開としてスッと入ってくるというか、「確かにこのキャラならこういうよな」という感じが終始あって、個人的にはとても自然なスポーツ漫画だったと思う。
例えば印象的なのは、柴木山親方が「体格に恵まれなかった分、環境に恵まれたっていいだろう」と言ったセリフ。
メタ的な見方をすれば主人公一派の強化のための環境、っていうのはどの漫画でも現れることだけど、そのシチュエーションが現れるまでの流れがとても自然で馴染む感じがよいなと思って。
漫画を読んでいる側も、主人公の強い意思や熱量に触れて応援したくなるし、作中のキャラクターもそれと同じような気持ちで応援してあげようとしているのがスッとなじんでくるので、都合の良い展開には見えない。
スポーツをがんばるものを応援したい、という根本的な感情の動きをきちんとできる、展開のキレイな作品だと思う。
このシーン以外にも、全体的に説得力のある展開が多いので、とにかくスムーズに読める。
スポーツって多くの人がやったことあったり、知ってる人体の話だったりするので、若干フィクションが混ざるのは当然なんだけど、そのバランス感覚がちょうどよいというか、少なくとも相撲よくわかってないのに楽しく読めるという点は間違いなく面白いと思う。
高校編は特に名取り組みが多くて語り始めたら止まらないんだけど、連載の特に感想スレで毎回「ベストバウト更新来たな…」って言われてたのは覚えている。
高校編で特に好きな取り組みは
①バトムンフ・バトバヤル(鳥取白狼)VS 五条佑真(大太刀)
②澤井理音(栄華大付属)VS 辻桐人(大太刀)
③日景 典馬(金沢北) VS 國崎千比路(大太刀)
の三つです。
もちろんどの取り組みも好きなんですが……。
取り組みすべてにテーマがあったりエピソードがあって気持ちが入るし、それ自体が押しつけがましくなく入ってくるのは、少ないコマと描写でキャラクターを説明する技術に秀でているからだと思うし、その分派手なシーンが際立つので、どこを切り取ってもいい作品になっているなあと思うのです。
とくにインターハイ団体戦準決勝の「勝ちたい」をテーマにした5つの取り組みの対比と、
決勝戦での「好き、楽しい」をテーマにした5つのの取り組みの対比はどちらもとても気持ちのいい仕上がりで、何回でも読める。
むしろそこを読むために読み返すまである。
高校編で好きなキャラクターは五条佑真です。
大相撲編は大相撲編でとても完成度が高く、全体的に満足な結果にはなったと思う。
ストーリーの平均年齢が上がったというか、プロとして相撲をするということに焦点が置かれたので、よりシビアな現実の壁や葛藤が描かれるようになっていた感じがある。
鬼丸が燻っている時期が結構長く、本誌で読んでいた時は結構答えたものだが、いざ単行本で読んでみるとスッと進むもので、やっぱ本誌特有のペースってのはあるなあと読み返していって思ったものだ。
高校相撲編は特に大太刀高校にフィーチャリングされていたものだが、大相撲編になってからは一変、各界入りした仲間たちへフィーチャーされる展開が多く、ちょっと群像劇みたいな感じだったのも個人的には面白かった。
いろんな「国宝」に魅力があって、「その生きざまが瞳に宿る」という感じが一貫していて、それぞれが背負っている自負が現れているのが見てみてわくわくさせられた。
もちろん高校組から各界入りしたものも居るし、高校でやめちゃった人もいるし、大学で続けている人もいるし、そのあたりの描写もきちんと残されていて、相撲との向き合い方が人それぞれ、というのがよく表現されていたように思う。
高校編でフィーチャーされなかった力士に当てられたスポットが個人的には良くて、それらと関わって相撲との生き方を見つけ出していく鬼丸、他それぞれの力士のさまが観ていて面白い。
大相撲編で個人的に好きな取り組みは、
①鬼丸 VS 大包平(9月場所11日目)
②鬼丸 VS 大典太(9月場所1日目)
③草薙 VS 刃皇(9月場所千秋楽)
あたりですかね……。
実は高校編ほど好きってなる取り組みはないです。
一番好きなのは大包平こと加納彰平くんですね。
彼の人間臭さは病みつきになります。ぜひ。
まとめ(?)
まとめというほどのものはないですが、火の丸相撲は面白いよということです。
- キャラクターを応援したくなるバックボーン
- 納得感のあるストーリー展開
- 派手な取り組み
この要素が読みやすくて面白い大きなポイントだと思います。
そして相撲という知ってるようで知らないテーマをわかりやすく、且つそれぞれの取り組みにおける個性を「相」という形で描写していて、「漫画」のスケールに落とし込んでいるものうまさじゃないかなあと思います。
スポーツ漫画で個人的にはめっちゃ推せるので、ぜひ読んでいただきたい。
【マイ・インターン】を観たぞ
あらすじ
ニューヨークでファッション通販サイトを運営している女社長のジュールズは、短期間で会社を拡大させることに成功し公私ともに順調な毎日を送っていた。そんな彼女の会社にシニア・インターン制度で採用された70歳の老人ベンがやってくる。若者ばかりの社内で当然浮いた存在になってしまうベンだったが、いつしか彼はその誠実で穏やかな人柄によって社内の人気者になっていくのだった。
一方その頃、ジュールズには公私ともに大きな問題が立ちはだかっていた。双方において大きな決断を迫られた彼女は、誰にも自身の気持ちを打ち明けることができず苦しい日々を送っていたが、そんな彼女を救ったのは他でもないベンだった。ベンの温かな励ましを受けていくうちに、いつしかジュールズも彼に心を開くようになっていく。ベンの言葉から勇気をもらったジュールズは、目の前に立ちはだかる数々の難問に立ち向かっていく決意をする。
(Wikipediaから抜粋)
感想
主人公は70歳くらいのおじいちゃん、ベン。
彼はいわゆるリタイア世代なわけだが、彼自身はそんなことは感じていない。
「音楽家にとって、自分の中の音楽が終わったときが最後の時だ。まだ私の音楽は終わっていない」(うろおぼえ)
と言って、シニア・インターンに応募する。
インターン先は今をときめくファッション業界。
ジュールズが立ち上げ大成功を収めたまさに「今アツい仕事」だった。
そんなジュールズの専属補佐としてベンは配属されるが、
ジュールズとしては、社会貢献の一つとして始めたシニア・インターンである手前誰もつけないわけにはいかないし、
でも実際の仕事は自分たちでこなしていて頼めることが無いし、
どこか取り扱いに困っているような、そんな様子だった。
ベンはだからと言って腐ることもなく、新しい環境と新しい仕事、仲間に対して
自分なりの気遣いと価値観で関わり合い、周りの人たちに作用していく。
そういったかかわりの中にもジュールズは含まれていて、やがて彼女自身の迷いに対しても、
ベンの言葉と行動が作用していく。
この物語を最初に見始めた時、
これは人生経験を積んだベン自身の持っている知識と経験をもとに、
若く力のあるジュールズたちがそれに感心し、ベンが周りを変えていくような物語だと思っていた。
でも実際にこの物語を観終わって感じたのは、
もちろんベンの言葉や行動が周囲に作用しているのだけれど、
あくまでそれはベンが積極的にはたらきかけた行動としての産物ではなく、
まず彼ら自身の物語がそこにあって、それに対してベンの行動と言葉が
はたらきかけているだけであるということ。
この物語はベンが主人公のようでいて、バイプレイヤーでもあり、
そうやって関わり合い、はたらきかけ合うことで、
いろんな人間のいろんな語が動いているのだということを感じた。
例えばベンは、
著名人に会う機会を得た同僚に「身だしなみを整えたほうがいい」と言い、
恋人を怒らせた同僚には「きちんと謝ったのか?」と問い、
事務所に山積されているデスクは人知れず整頓したりする。
何かを教えようとして行動するのではなく、
誰か、あるいはその環境に対して押しつけがましくないところまで行い、
そこから先をきちんと本人に返すことができる。
そういう経験を積んだ大人としての「品性」が節節に見受けられて、
こういう大人でありたいと思ったし、こういう関わり方をしたいと思った。
品性というのは、「どこまで行い、どこまで行わないか」を見極める能力だと思っている。
行き過ぎてしまえば経験に物言わせた「指示」になってしまうし、
踏み込めなさ過ぎては役に立つことはできない。
「私の中の音楽は終わっていない」というベンは、
きっと自分の中にあるものが誰かや世の中にきっと作用できると感じているのだと思う。
そうして社会とつながっていたい、世の中の大きな流れの一部でありたいというふうに思っていたんじゃないだろうか。
ベンがジュールズに伝える印象的なシーンとしては、こういうシーンがある。
物語を通じて、大きくなってきた会社をハンドリングするためにCEOを雇ってはどうかと
提案されているジュールズは、自身の過程で過ごす時間が失われていくことも憂いて、
ついにはCEOを雇うことを決心する。
ただし、それは旦那の浮気のこともあって、どうしようもなく追い詰められた彼女の決断だったように見えた。
話を聞いたベンはジュールズに対して助言をする。
そう判断するのがいいと思う、あなたらしいと思う、というふうな言葉を投げかけるが、
最後に「…って、言えばいいかな?」と問いかける。
これは個人の解釈だけれど、
あくまでベンは彼女の決断を尊重していて、だけどそれに対する言葉を求められたときに
ベンの言葉が理由にならないように、そういう言い方をしたんじゃないだろうか。
後悔しない決断というものは存在しないけれど、決めるのは自分自身。
その決断が正しいかどうかはあとにならないとわからない。
ただし、その覚悟を決めるのは誰かに言われたからではいけないのだと思う。
だからベンは「甘い言葉」をなげかけたうえで、
「あなたはそれでちゃんと納得できるの?」と伝えたかったんじゃないのかな。
そういう意味で、物語の中心には「ジュールズの物語」があって、
「ベンの物語」はそれに作用していただけなんだと思う。
ベンはそれを理解して行動に起こせる、まさに「紳士」であり、
男女や世代を超えた友情がそこにはあった。
ベン自身はもう高齢だし、いわゆる化石のような男だ。
PCの電源の付け方も良くわかっていないくらいで、世の中のメインストリームを担う存在ではないかもしれない。
だけどそれは世の中から切り離されているという意味ではなく、
彼自身が「まだ社会と繋がれる」と感じている以上、いつから始めたっていいのだと感じることができた。
それは彼がメインストリームを担うということではなく、
世の中の「これからの物語を作るものたち」と手を取り合い、
知識と経験をもとに助け合えるのだということを言っているのだと思う。
もちろん、それがベン自身の物語でもある。
「誰もがいつでも自分の人生の主人公、いつだって物語は始められる」とはまさにこのことだなと思った。
きれいに身だしなみを整えること、
机を整頓しておくこと、
毎朝ひげをそること、
困っている友人に手を貸すこと、
そこにある出会いを楽しむこと、
そういう知性と品性は経験で培われるものであり、でも経験がなくたってできることでもあるだろう。
男女年齢を超えた共同で働く社会は今や当たり前でもあるから、
自分詩人も、誰にだっていつだって、ハンカチを貸すことができるようになりたい。
【クロール ー凶暴領域ー】を観たぞ
あらすじ
競泳選手の大学生ヘイリーは、巨大ハリケーンが迫っている最中、父と連絡が取れないとの連絡を受ける。父を案じてフロリダの実家に戻ると、地下で大けがを負い気絶していた父を発見する。しかしそのとき、突如何者かによって地下室の奥に引きずり込まれ、右足を負傷してしまう。へイリーが闇に目を凝らすと、そこはどう猛なワニたちに支配されていた。
感想
いわゆる「アニマルパニックもの」のスリラー作品。
巨大なハリケーンが迫っており避難勧告が流れるなか、対象地域であるはずの父と連絡がとれないと姉から連絡を受けるへイリー。
きっと眠っているのだ、きっと避難している、
そうは言うものの父の性格を考えるとまだ家にいる可能性があると考えたへイリーは、
ハリケーンの真っ只中に向かって父の様子を見に行くことに。
フロリダの実家にたどり着き、地下室にいた父を発見すると、瞬間足を噛みつかれて引きずり込まれてしまう。
スリラー作品においては「おそろしいもの」と「そこから逃げ出す必然性」があることが必要だと思う。
本作の「おそろしいもの」は「ワニ」である。
ハリケーンによって川が反乱し浸水した地下室へワニ達が侵食してきた、というものだ。
まず描写の点から言うと、ワニのワニらしさがいい感じに描いていると思った。
わかりやすい「牙と顎」というシンボルに、ゆっくりと動いて獲物を探し、見つけたら素早く襲いかかる様が、
シンプルに生命の危機を感じさせるものだった。
これもたぶんCGなんだろうけど、それを感じさせないくらいリアルな動き、
振る舞いをさせているので、より生々しい恐ろしさを表現していたと思う。
個人的には獲物を補職したあとちゃんとローリングしてるところとかテンション上がったな~。
また、地下室からの脱出、洪水による浸水と、違和感のない環境設定もよく機能していたと思う。
水が迫ってくるから待つことができず、
水が広がっているから逃げづらく、
飛沫を立てれば気づかれるから急ぐことができず、
そこにワニがいるもんだから自然とパニックに没入しやすい構造になっていると感じた。
そこに「必然性」があって、
いわゆるB級パニックホラーみたいなツッコミどころを感じさせない展開がとてもよかったと思う。
また本編自体が87分しかないので、テンポもよかったように思う。
単純に撃退するんじゃなくて、最後まで逃げきれればオッケーだというところとか、
変なオチ(最後の最後で助けに来た人が食われるとか)そういうのがなかったのも好感が持てる。
こういうアニマルパニックものに関してよく思うのは、
主人公がタフすぎることだと思っていて、本作もそれには漏れていなかった。
ワニに腕やら足やらを噛まれていてもバッチリ泳げているところとか、
しっかり力はいってるところとか、
いまにして思えば「つよ~~」って感じだった。
みている最中はツッコミしてるほど冷えてはなかったので、気にならないけれど。
あと全体的にお父さんのアイデアが裏目裏目になっているのがちょっと面白かった。
排水溝のところに裏口がある!って言ってもいけなかったり、
地上に上がる出入り口になにかがおいてあって開かなかったり、
ボートまで泳ぐんだ!とかいってたり。
でも要所要所でやっぱりワニがやってくるので、
それらがことごとく阻まれてしまうんだよな。
ボートの下りは堤防決壊が理由だけど。
地下室から地上に登っても一階が浸水したのでワニはやってきて、
少しだけワニとの格闘戦が続く。
入ってきた2頭のワニのうち片方をトイレに閉じ込めて、
もう片方は発煙筒で撃退して、やっと屋根の上に逃げ出してフィニッシュ。
最初からなんで上だけを目指さなかったの?ってのは今これを書いてて思ったけど。
まとめ
見終わって整理してるとちょっと気になる要素は多いんだけど、
観ている間はそんなこと気にならないくらいでいられる、
しっかり作られているアニマルスリラーだったと思います。
比較的短めでわかりやすいパニックを感じられるのでおもしろい。
ちなみに英語で「這いつくばって通らないといけないくらいの空間」とかのことを「クロール・スペース」って言うんですって。
それとかけて「クロール」だったのかな。
【Memento】を観たぞ
あらすじ
ある日、自宅に押し入った何者かに妻を強姦され殺害された主人公・レナードは現場にいた犯人の1人を射殺するが、犯人の仲間に突き飛ばされ、その外傷で記憶が10分間しか保たない前向性健忘になってしまう。
復讐のために犯人探しを始めたレナードは、覚えておくべきことをメモすることによって自身のハンデを克服し、目的を果たそうとする。出会った人物や訪れた場所はポラロイドカメラで撮影し、写真にはメモを書き添え、重要なことは自身に刺青として彫り込む。しかし、それでもなお目まぐるしく変化する周囲の環境には対応し切れず、困惑して疑心暗鬼にかられていく。
果たして本当に信用できる人物は誰なのか。真実は一体何なのか。
(Wikipediaより)
感想
いろんな人にオススメされたので見てみた。
健忘を持った主人公・レナードが己の「記録」を頼りに己の目的のために行動する物語。
この作品の特徴としてはストーリーを「終わりから始まりに向かって描いていく」というところが
めちゃくちゃキャッチーだなと思った。
観終わった今その点に翻ると、
そうでなければ「さっき見た我々」と「もう忘れてしまったレナード」で
既に食い違ってしまうので、初めて見た時になんだかめちゃくちゃだなっていう感じに
印象を持ってしまいそうな気がするので、
こういう逆順で進めたからこそレナードと同じ気持ちで謎にぶつかり明らかになっていく
話の構成が面白いと思った。
どんな物語を見ても、例えば少し前のページに戻って
「ああ! あのシーンはこの展開のためだったのか!」
「今こいつがこうしているのは、あのときこうだったからなのか!」
と感じる再読性、要素がつながる快感がストーリの深みを作っていると思う。
メメントは逆順でストーリーが展開されるからこそ、
今起きたことに直後にその原因が明らかになっていく組み立てが
常にその快感を与えていて、どんどんと入り込んでしまう作りになっている。
一方で、映画の時間通りに物語を見る我々には、
「なぜこうなってしまったんだ?」という疑問が常に提示されていて、
それに対して「もしかしてこうだったのか?」という予想もちりばめられていて、
話が進むにつれて何が正しいのか、目的がわからなくなって
知りたくなる=思い出したくなるように誘引されているようにも感じられた。
物語の冒頭、「すでにあるもの」の中に囲まれて「これはなんだ?」と思うレナード、と我々。
その時点で、あるいはすでに書いているように、
「レナードの感じる『疑問』を、視聴者が共有して、この物語が進んでいくのだ」
と思って視聴が始まるからこそ、この物語の深さと再読性が高まっていくのだと思う。
物語が進みレナードと周囲の関係がわかってくる(わかってない)に連れて、
レナードの症状の異常さと、その精神性の異常さに気づいてくる作りになっているのもさすがだと思う。
思い出せないのではなく覚えられないのは、
忘れるのではなくなくなってしまうことであって、
体験したこともなくなり、感じたこともなくなるという意味で、
怒りも悲しみもなくなってしまうのは悲しいことだし、
その状態である目的に向かって生き続けるのはまさに狂気に他ならないと思う。
でもそれがわかったのは一番最後だというのだから見返したくなってしまうよな。
レナードにとって重要なことは「記録すること」。
10分間で忘れてしまうので、とにかくメモを残すことにしていて、
疑いのないような形=騙されないような形で残すことにしている。
筆跡を間違えないし、重要な情報は入れ墨にする。
これは割と普通に暮らす我々もすることだけど、
本当に記憶がなくなってしまうとしたら、とてつもないことをしなければならないなというのはよくわかる。
結果だけがあって過程がわからない状態は、
その事実を支えるものが何もないという意味で、理屈や納得が無くなってしまう。
特に「理屈がいくらでも書き換えられる」というのが恐ろしいことだと思う。
今着ている服がいつ買ったのかもわからないし、そもそも買ったのかどうかもわからない。
レナードは写真にメモを付けて記録するようにしているけど、
終盤までのところを見て、その記録をしたときの心理状態がわからないから、
過去のレナードの感情を知らない未来のレナードが、無感情にその事実を信用してしまうのは、
物語として納得できるのと、納得できるが筋が通らない異常性が成立していて、
その「理解できるズレ」が観ていてとても気持ち良い感じだった。
映画を見終わって感想を書いていて今思っているのが、
レナードの最期の記憶が妻の映像なのはいいとして、
じゃあなんでその目的に向かって進むべきだと信じ続けられるのか?がだんだん不思議に感じられてきた。
さっきも書いたけど、「信用できない記憶の中、一つの目的に向かって進み続ける」というのは
精神状態として明らかに異常だと思う。
普通は嫌なことを言われて感じるストレスも、10分経てばなくなってしまうとして、
じゃあそれを経験した精神への負荷はどこに行ったんだ?という感じ。
罵詈雑言を浴びせられて怒り、殴った相手が10分後に助けてと縋ってきて、それを助けてしまうとき、
その時の精神はもう成立してないのでは?と思う。
レナードは終始、記録が信じられるとしていたけれど、
その記録を付けるのも人なわけで、形に残るだけで正しいわけではないと思うんだよな。
レナードはそれが不安だったり怖かったりしたから、
記録こそが正義であると刷り込んで、そのために行動できてしまったんだと思う。
どう「刷り込んだ」の?
すべてが終わった今、物語を時系列通りにつなげると、
レナードという人間は刹那、人間らしい葛藤をする中で、
その葛藤すら置き去りにして、次の行動が進んでいく展開が、
とにかく異常な物語だったなと感じる。
どこかのセリフにあったけど、「未来が決まっていて過去がわからない」という状態で生まれる
特殊な叙述の世界がそこにあったなあと感じた。
まとめ
総評 : めっちゃおもろい
物語の構成は、時系列を明らかにしていくサスペンス方式で、
次々に生み出される謎と、その回答が細かく繰り返されることで
一つ一つのシーンの意味が出来上がっていくカタルシスを味わえる良い作品だった。
また、レナ―ドが信じる記録と、視聴者にだけ残される記憶(感情)の間で構成される、
「納得感のある異常性」がこの物語の一番好きなところだ。
おすすめされただけあって面白かった。
感想書くために検索して知ったけど、「インターステラー」と同じ監督さんなんですね。
「インターステラー」もめちゃくちゃ面白かったので是非。