勉強をする
今までに見てきたものや感じてきたことの何割を自分の今の生活に活かしているかと聞かれた時、例えば「学校で学んだことの何割が生活の役に立つのか」と聞かれた時、それは多分1割あればいいほうだと思う。
だからと言ってその1割は10割入力された知識を単純に分割した1割ではないというとのまた当たり前のことなのだなあ。
「自分の今の生活に活かす」と言われても、「自分」が「今」している「生活」ってその時にはわからないもの。
学校っていうのは社会生活の勉強だといわれることもあるけれど、だったら勉強なんてしなくていいじゃんと思うこともあるけど、やっぱり「時間があるうちにたくさんのことを知ること」っていうのは何よりも貴重な経験なんだよな。
それを自分で気づくのはとても難しい。だって時間が欲しいと思ったことが無いもの。
無限にある休み時間、30分もあればサッカーをしに校庭に走った日々。
いまや10分休憩で十分休憩するための技術を模索する毎日だ。時間が無限にあったんだよなあ。
中学の時に理科が好きで英語が嫌いだったとして、じゃあ理科だけやってもいいし、嫌いな英語をやってもいいし、それは個人の自由だけど、もし、この先で「ちょっとくらいやっておけばよかった」と思わないように、「ちょっとくらい」やっておいた方がいいんだな
自我が形成され自立したくなるその時期に、それを支えるために、知識と常識と教養を与えなければならないんだ。
学びの幸せを知る者は、きっと好きなものをたくさん見つけることができるようになる。
学ぶことは楽しいことだからだ。
学びの喜びを知らないものは、知ろうとする力が無くなっていき、閉じた世界になってしまう。
世界自体が広くても、広がりがないのであれば、いつか破綻するし、より広いものから見れば矮小なものになってしまう。
だからやっぱり、世界を広げようとする気持ちと、試みが大事なんだよな
だから勉強をする。